WorldShift’12 Vol.2 イベントレポート①

こんにちは!
広報担当のヒラノです。
今回は、11月10日に行われた「WorldShift’12 Vol.2」についてのイベントレポートを書きたいと思います。

「行きたかったんだけど、その前にバイトが入っちゃって…。」っていう声が多くあったので、来れなかった人にもどんな感じだったのかわかってもらえるように、頑張って書きたいと思います。

というわけで!

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前回は雨だったのですが、今回は「晴れ◎」

まずはじめにアイスブレイク。
今回は前回と違って、「じゃんけん列車」の他に「ほぼ無理ジェスチャーゲーム」をしました!

(普通のジェスチャーゲームだったら「ゴリラ」とか、「パンダ」とかそういう簡単なやつが多いと、なかなかアイスをブレイクできないのでは?と考えた企画班が、かなり難しいものだったらがんばろうとしてアイスをブレイクできるのでは?と考え、生まれた企画です。)

ex.機敏なムチ使い

Twitter係だったので後ろからみていたんですが、みなさんが何とか頑張って伝えようとしている姿がとても楽しそうに見えましたよー!

 

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そして、アイスもブレイクした後に
登壇者の佐藤慧さん、兼松佳宏さんの講演。

まずは佐藤慧さん。
佐藤さんは「ファインダー越しの3.11」の著者で、写真と文章を駆使し、人間の可能性を伝え続ける気鋭のフォトジャーナリスト。

佐藤さんのワールドシフトは
「I」→「愛」

最初に、佐藤さんがなぜ「カメラ」と「文章」というツールを使って活動をしているのか、ということについて。

カメラで物を撮るということは、絶対に自分でその場所に行って、その目で見てカメラを通して覗きこみ、その上でシャッターを切らなければならない。そういう能動的な行為があるために、「自分が何を思ったのか、何を伝えたいのか」っていうのを考えることができる。そして、その背景にある、五感で感じたものを言葉を通じて伝えるために文章も同時に使って活動している。

現在活動している”ザンビア”について。
現地で会った孤児院にいる小さい子ども。生まれたときからエイズに感染していて、20歳までは生きられないだろうと言われている。佐藤さんには最初はそういう子どもがいるという事実が、なぜだかわからなかったそう。生まれた瞬間に死ぬ運命にある人と、そうでない人がいる、その中で「死ぬ運命にある人の命には何か価値はあるのだろうか、苦しみしか残さないのではないか」、なぜそういう人たちが生まれているのだろうか、そう自問自答していました。

しかし、その質問に孤児院に住むシスターはこう答えたそう。

「この子のような儚い命があるからこそ、自分や目の前の人たちの命の大切さについて考えることができる。」

確かにエゴイスティックな考え方かもしれないけど、その子どもが周りの人間に、その子の状況をどう思うかということを考えるきっかけを与えてくれる。そういう小さなことが少しずつその子の生まれてきた価値というものを高めているのかもしれない。もっと多くの人に知ってもらい、多くのことを感じてもらい、その子の生まれてきた価値というものを高めたいと思って、佐藤さんは写真や情報を通して伝えているのだそう。

大手メディアは大体大枠としてこういうことを伝えたい、という共通認識が必要(インパクト重視なので普通の日常はなかなか取り上げられない)。なので、それに当てはまらない情報はどんどん削られていく。なので、表面はひとつに見えるけど実際はひとつではなくて多くの価値観があるということを伝えるために、フリーのジャーナリストはその価値観を伝えるために尽力しています。

このザンビアのお話の前にタイの洪水についてのお話がありました。これもおんなじこと。洪水というイメージに対して、「被害が大きい」というバイアスがかかっているために、そういう状況の様子しかメディアは流しません。なので、そこで暮らす人がいち早く仕事を探していたり、ポジティブに生きている様子はなかなか見ることができないです。そういうところにフリーの人が出向いて、内部をよく見て、それを発信するからこそ、本当はどうなっているのかということを自分たちは知ることができるんです。

”伝えることで写真を撮った人の運命は変えることはできない。しかし、伝えることでそれを見た誰かの心に種のようなものが植え付けられ、それがのちに花を咲かすような間接的な手助けとなるよう
に、写真を撮り続けています。
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続いて、震災に関して。
佐藤さんのこの言葉にはとても深く突き刺さりました。

今もなお、陸戦高田市の市街地を通る人は今はほとんどいない。むしろ、そこに住む人たちは、そこを通ることを拒んでいる。なぜか。それは、そこを通るとあまりに多くの痛みに触れてしまうから。
しかし、建物の取り壊しなどで、痛々しいものがなくなり、更地になることで、そこにある痛みを感じることができなくなってしまう。更地となり、草も生え、一見のどかな場所に見えるところでさえも、何がそこで失われたかということを知っている人にとっては、とてつもなく痛々しい光景に写ってしまうのである。

それは実際に経験することでしかわからないのか。

佐藤さんはそうではないと言っています。
人は、物事に想像力を働かせることで、すべてとは言えなくても人々が感じた思いを共有することができる。写真を通して伝えるということも、想像力の手助けとなるようにと思って撮っているのだそう。

肌で感じる震災の被害

震災当時、佐藤さんは前述のザンビアにいて、インターネット接続もままならないその地で知った、Twitterやニュースの情報に驚いたそうです。

「震災直後に200名の死体」

これはどういう意味なのかわかりますか?
自然災害が起こった場合、死者数というのは、確認をとっている時間が必要になるので、ある程度時間が経ってからわかるものです。
しかし、
この震災は地震発生直後にこれだけの死者数が判明しているということは、どれだけ被害が大きいか、大津波で流された人々がどれだけ多いかっていうことを示しています。

そこで知った200人の死。今のところ死亡が確認されたのは200人だったが、確認されていない死の総数はどれくらいになるのだろう。そのことが頭から離れなかったそう。

その後すぐに、帰国を決めて帰ってきた時に、ニュースで聞いた、「(地元の)陸前高田市は確認できません」とのことば。 人口2万人のその都市で、隣の都市との境界線がわからない、壊滅してしまったということを聞き愕然としたそうです。

その後、地元に戻る途中に父から、何とか生きているという連絡があったため、「被害は甚大だけれど人ってちゃんと生き延びられたんだ」と、少し軽く考えてしまったそう。
しかし、母が依然として行方不明であるということ、それに実際に市街地に行ってみて、つい最近まで普通に動いていたタイヤ、木材など、人々の営みがあったものが全て瓦礫となって転がっていることから、被害の甚大さを痛感したそうです。

また、被害が大きかったのは海沿いの地域だけではなくて、「内陸部」にも大きく、
①川を逆流した津波によって襲われたからというのと、
②内陸部だから大丈夫だろうと安心していた人々が多くいて、逃げ遅れたということ
が要因として考えられます。

佐藤さんがここで感じたことは、
「ここまでバラバラになった都市を見たことがない」ということ。

どんなに紛争の多い地域でも、爆弾の多く飛び交う地域でも、街を完全に破壊することはできない。必ずどこかに死角が存在します。
しかし、津波によって被害を受けた街は、津波は水が通るところに死角がないため、もろもろ全て流されてしまい、それゆえに全てが飲み込まれ跡形もなくなってしまうのです。

この震災を通して佐藤さんが考えたのは
死は確率論ではないということ。佐藤さんは、アフリカなどでもっと死が身近である地域にいるはずなのに、東北の田舎で過ごしている佐藤さんの母が亡くなってしまった。そのことから、「死っていうのは向こうからやってくる」ということをずっと考えていました。

東北で感じた、「何でこんなに苦しいのか、胸が締め付けられるのか」っていう感情は、それだけその対象のことを愛していたから、大切に思っていたからなのではないか。痛み、悲しみ、怒りを感じるのは、それだけ愛を育んできた証拠なのではないか。単なるネガティブな感情なだけではないのではないか。

東日本大震災は未曾有の大災害を引き起こしました。しかし、全てネガティブな面だけだったかというとそうではなく、周りの人たちの受け取り方次第で変わってくるもの。残した痛みを自分たちの生き方次第でどうにでもなれる。どう動くかが重要なんだと。

世の中にはたくさんの辛い事実があり、そしてまずそれを知らなければいけない。しかし、そういう辛い苦しみを伝えて多くの人に知ってもらうには、自分のやっていることでは限界があると痛感した佐藤さんは、現在、

「希望について考えている」そうです。

希望っていうのは可能性に満ち溢れている、というようなマイナス要素が全くないというわけではなく、本当は逆で、絶望であったとしても、抗いようのない出来事があったとしても、たった1%でもしがみつける何かがある、それが希望になるのではないか?それができれば人間は絶望しないのではないか?と言っています。

何の絶望のないところから希望のことばは力を持たない。本当の絶望の中からそれでも這い上がろうとして出てきた言葉というものより強い言葉はない。

佐藤さんは、この職業を通して、たくさんの絶望やどうしようもない事実を知り、ただそれを伝えるだけではなく、それでも前に進んでいけるということを伝えることを目標にしているそう。自分の生き方からというよりも、現にそうやって生きている人たちがいるから伝えられるということを示したい。そうおっしゃっていました。

復興でもそう。
…復興ってなんだろう。

いろいろあるけど、心がいかに痛くても、苦しくても、悲しくても、それとともに明日を生きていこうと思える、その一歩を踏み出そうという気持ちが「希望」であり、「復興」なのではないか。

そういうことを考えると、人生の中で起こる痛みや悲しみは、希望への糧になる。度合いが深ければ深いほど、他人への喜びも理解することができる。

I(個人的な体験)を越えて、愛(他の人たちの痛みというものを自分の中に取り入れることによって、他の人を愛する気持ちもどんどん上がっていく)へ

どうあるのかじゃなくて、どうありたいのか。
佐藤さんはそれを毎日考えて生活しているそうです。

次は兼松さんの講演のレポートです。

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