WorldShift’12 Vol.4 イベントレポート②

今回の記事は、 WorldShift’12 Vol.4での、フォトジャーナリスト 安田菜津紀さんの講演内容のまとめです。

〇安田菜津紀【やすだなつき】

studio AFTERMODE所属フォトジャーナリスト。東京都在住。
カンボジアを中心に、東南アジア、アフリカ、中東で貧困や難民の問題を取材。東日本大震災以降は陸前高田市を中心に、被災地を記録し続けている。
1987年神奈川県生まれ。25歳。
2003年 高校生として「国境なき子どもたち」と共にカンボジアを取材。
2009年 日本ドキュメンタリー写真ユースコンテスト大賞受賞。 コニカミノルタ フォト・プレミオ。
2010年 第35回「視点」特選。共著『アジア×カメラ「正解」のない旅へ』(第三書館)出版。上智大学卒業。
2011年 共著『ファインダー越しの3.11』(原書房)出版。
2012年 第8回名取洋之助写真賞受賞
http://www.yasudanatsuki.com/

安田菜津紀さんはWorldShift’12のテーマである“Shift from here”をフォトジャーナリストとして、「伝える」という観点から講演されました。

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フォトジャーナリストは各媒体に写真記事を配信する職業です。綺麗な写真を撮ることが目的ではなく、その写真に写る人たちがどのような問題を抱え、どのように生きているかを写し、発信することを目的とされています。

何かを伝える上で、安田さんが気をつけている点は、伝えっぱなしで終わるのではなく、どうすれば読者の心に届くかを常に考え続けるということ。

綺麗な「いい写真」を撮るのではなく、カメラというツールを用いて「どうしても伝えたい」という思いを届けようとする姿勢を大切にしながら活動されています。

安田さんがフォトジャーナリストの仕事を志したのは、高校時代にNPO「国境なき子どもたち」によるカンボジアでのスタディ・ツアーに参加されたことがきっかけです。

参加された理由は国際協力に興味があったからでも、人助けがしたかったからでもありませんでした。

安田さんは、中学二年生のときに父親を、中学三年生のときに兄を亡くされたそうです。当時の安田さんの心の中では

「家族ってなんだろう?」

「人と人との絆ってなんだろう?」

「どうして大事な人といられる時間は少ないのに、傷つけあってしまうんだろう?」

といった多くの疑問が渦巻いていました。

そんなときに、カンボジアでのスタディ・ツアーの話を知り、まったく違う環境で生きている同世代の人たち、例えば路上生活の若者や学校に行けない子どもたち、彼らはどんな気持ちで、誰のためにどんな風に生きているのかを知りたいと思い、ツアーに参加されました。

安田さんが現地で主に一緒に時間をすごしたのは”Trafficked Children”= 人身売買をされた子どもたち でした。

普段はとても明るく、素敵な笑顔を見せる彼ら。

しかし、一度過去のことを語りだすと表情は一変します。自分に値段をつけられ、虐待をされた彼らの多くは、家族を守るためにお金を稼ごうとしたことがきっかけであるといいます。彼らは自分自身ではなく、家族のためにたとえ自分が傷ついても体を売る。たとえ施設で保護されていても、食事がある自分ではなく、家族のことをまず考える。

そんな誰かを守るために強い意志を持って生きる人たちとの出会いを経て、帰国した安田さんは、自分自身の五感を使って感じたカンボジアの姿を世の中にシェアしたいと考えるようになりました。

そこで、出会ったのはカメラというツール。

動画や文章といった様々な方法が溢れる世の中で、写真という表現方法を選んだ理由。

それは「写真には無関心を関心にする力があるから」。

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写真は生活の至る所で見ることができます。電車の中や、レンタルビデオ屋、日常の中で目にした一枚の写真が、見た人の心を一瞬でつかむことができるかもしれない。

そんな無関心を関心に変えることができるメディアが写真であるといいます。

しかし、写真は人の命を救うことはできません。

安田さんがカンボジアに行った際に、ある男性がエイズで命を落としたそうです。ジャーナリストは医者ではありません。NGO職員のように、現地の人に寄り添って生活を支えることもできません。

安田さんは人の死に直面する度に写真の無力さを実感されたようです。

そのとき安田さんを支えたのは現地のNGO職員の言葉でした。

“安田さん、これは役割分担なんです。私たちNGO職員は子どもたちに寄り添って現地の人を支えることはできるけど、そこで何が起こっているかを発信することはできない。あなたは少なくとも現地に通い続けることはできるし、伝えることもできる。だからそれぞれができること持ち寄って、やっていけばいい。”

社会が抱える問題は、人々に認識をされない限り、問題として扱われていることがありません。しかし、多くの社会問題の当事者と呼ばれる人たちは、社会に向けて声を発信することができない状況にあります。

そこで安田さんは、そんな人々の声を伝え、問題を問題であると発信する「拡声器」のような役割を担いたいと思うようになりました。

2011年、安田さんはご結婚されました。

旦那さんは、WorldShift’12 Vol.2 登壇者の佐藤慧さん。(!)

 http://wp.me/p2NqaU-2A (佐藤慧さんのレポートはコチラ!)

3.11 東日本大震災

1年9ヶ月前、安田さんの夫である佐藤さんのご両親が暮す陸前高田市が壊滅的なダメージを受けました。

「阪神淡路大震災の800倍の規模」

速報が安田さんをぞっとさせました。

2011年3月、安田さんは一枚だけ写真を撮ったそうです。

カメラが写したのは、津波の被害にあった、かつて70000本の松が生えていた土地に残った一本の松の姿でした。

安田さんはその一本松のある風景を、「希望の象徴」のように感じ、夢中にシャッターを切ったそうです。

ある日、安田さんは被災をされた義理のお父さんに、一本松の写真を見せました。

そこで、お父さんは声を荒げながらこんなことを言われたそうです。

「どうしてこんな海の近くに近づいたんだ。君のように以前の70000本を知らない人間にとって一本松は「希望の象徴」に映るかもしれない。しかし、以前の70000本と暮らしてきた人間にとっては津波の威力を象徴するもの以外の何物でもない。」

「誰にとっての希望を唱えたかったのだろう」「誰の立場に立って何を伝えようとしたのだろう」「なんで人の声にもっと耳を傾けなかったのだろう」…

安田さんは自分の行動を恥じました。

それから1か月後、安田さんは陸前高田にある小学校の入学式の記念写真のお手伝いを担当されました。

たった二人の生徒による小さな小さな入学式でした。

この小学校の生徒は、多くの大人が津波に流されていく様を見ていることしかできない状況にあったそうです。その小学校に入学する二人の入学を祝福するため、先生や親御さんが奔走し、全国から多くの物資が集まったそうです。

「ひとりの人間がすべての役割を果たすのは不可能なのかもしれない。しかし、役割分担をして、自分のできることを持ち寄れば乗り越えられるものがある」

二人の命が教えてくれたそうです。

震災から1年9ヶ月が経ちました。

メディアでは復興は進んでいるという声が聞かれます。

しかし、まだまだ声をあげられない人たちはたくさんいます。

現地の人々が前に進もう、復興をしていこうという一方で、時間の経過と共にボランティア団体や、被災地に訪れる人の数が減少している現実があります。

牡蠣の漁を本格的に再開する人がいる一方で、港の傍らには波によって倒された防波堤がそのままの姿で残っています。

漁を再開することができない人も中にはいます。

漁に出ることができないことで、生活を立て直せない。

生活を立て直せないことで、子ども達が自由に夢を描くことができません。

子どもたちが心のなかに抱えているものが暴れだすのはこれから。

「この街の中ではまだ何も始まっていないし、何も終わっていません。私たちは何を忘れてはいけないんだろう。何を考え続けなければいけないんだろう」

 

安田さんはシフトシートにこう書かれました。

「心の種」→「行動の花」

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フォトジャーナリストは0を1にする仕事であると安田さんは語ります。

なんとなく目に止まった一枚の写真が「知らない」状態「知っている」状態へ結びつけることができます。

「写真によって心のどこかに留まった種が、行動するチャンスを見つけたとき、一歩として花開いてほしい。この話を聞いた人が自分なりに落としこみ、一緒に考えていけたらと思います。」

 

安田さんは、WorldShift’12の多くの参加者と同じくらいの世代。

話を聞くみなさんも共感するところが多かったのではないでしょうか

無関心を関心に変えること。

何かを押し付けるのではなく、写真を通して、気づきや発見といった心の種を蒔いていくこと。

安田さんの人柄と同じようにやさしくて、温かいシフトだと感じました。

現在、安田さんはカンボジアでのスタディ・ツアーを企画されています。

 http://www.yasudanatsuki.com/

高校生のころに安田さんを動かすきっかけとなったカンボジア。

興味のある方、ぜひとも参加してみてはいかがでしょうか。

安田さんのお話によって、みなさんの心に撒かれた種が、行動の花へと少しずつシフトしていきますように。

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続いて、コピーライター 並河進さんのお話です!

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